ヘロリペロリ日記

恒例行事「七夕のねがいごと」 〜今年はどんな願いを叶えましょうか?〜

【ヘロリ山崎より】

こんにちは!
またしても「ヘロリ・ペロリ」ですね〜。前回の身体感覚講座は6月8日(日)でしたが、今回は6月28日(土)と、7月を待たずに早くも開催です。今回も参加するという方々とは20日ぶりに再会しますね。月に1回会っているという習慣になっているので、月に2回会うとなると、なんだか「おかわり」をしているような贅沢な感覚です。
さて、このように月に1回、時には月に2回も出会えてしまう私たちですが、古来より年に一度しか会えない方々もいらっしゃいますね。そうです。乙姫と彦星のお二人です。年に一度、天を流れる天の川に橋がかかり、そこで出会う二人のお話といえば七夕です。
七夕はもともと中国から入ってきた風習で、お裁縫や筆の上達を祈願する風習が奈良時代の日本に入り、それが日本の伝統として根付いていったものです。7月7日と、7が重なる日を七夕としたのですが、他にも1月1日から9月9日まで月と日の重なる日を特別な日と見るのは、中国の陰陽の考え方から来ています。ちなみに北京オリンピックが8月8日に始まりますが、8は中国で大変運気の強い数字と見られていて、それが重なる8月8日は、オリンピックを無事に成功させたいという願いを込めているのです。
七夕の7月7日というと、梅雨の真っ只中という時期に当たります。ですがこれは現在の暦に当てはめるとそうなってしまっているだけで、明治時代までの日本では旧暦が使われていましたので、その頃まで七夕は、秋の行事でした。今年は8月7日が旧暦の7月7日に当たりますが、この日はちょうど「立秋」、つまり秋の始まりです。身体感覚講座は6月28日で、ちょっと時期は離れての開催となりましたが、これは会場のスケジュールの都合なので仕方がありませんね。
本来の七夕の時期は、秋を迎えてこれから本格的な農作物の収穫期が始まる頃です。農作物が豊作であるように、晴れた初秋の秋空に願う行事だったわけですね。
「願い」ということに関して、この頃はきっと、生活の中に自然と願いというものがあった時代だったのではないでしょうか。豊作を願うことが、そのまま家族の幸せにつながっている。「生活の中に願いがある」ということは自然の成り行きであったように僕には思われます。
現代では僕たちの「願い」はどうでしょうか? 「お金持ちになりたい」「海外旅行に行きたい」「カレシがほしい」とか、いろいろな「願い」を思いつきますよね。でもちょっと良く考えてみてほしい。というより「感じて」みてほしいのですが、「願い事」って本来、願いがかなうことで、自分や家族が幸せになるようなことなんです。少なくとも僕はそう思っています。
それから、自分自身が生活を送るなかで身近なこと、今現在、行っていることの中に「願い」はあるのではないでしょうか。
そう思うと今、生きていることだけで僕たちは祈り、願っているということになります。ですから行事で願い、祈願するということは、日々の自分の行いを再確認して、そのことを季節の節目で気持ちを引き締めるためにあったのではないかと思うのです。
さて、ちょっと小難しいことを書いてしまいました。
こんなことを書きながらも、僕自身、自分自身の願い事はなんだろうと思っているのです。自分自身の未来のビジョンを描いて、そのために必要な目標を定めて、その先につながるような目標が「願い事」?
まあ、それはそれできっと立派な目標として僕を導いてくれるのかもしれません。でも、そんな頭で考えた決まりごとのような願い事は、僕にとっては願い下げです。
心と身体をなるべく近づけることで、本来「当たり前のこと」として僕の中に備わっているはずの「願い事」に出会いたい。なんとなくですが、そのように思っています。
ですので、「本当の自分の願い事ってなんなんだろう?」と少しでも思われるという方は、ぜひ参加いただき、自分の中にある願い事と出会うためのちょっとした旅にご一緒いただければと思います。書道具がありましたら、ご持参いただければ助かります。なくともお貸ししますので大丈夫です。ちなみに次回の講座は8月17日(日)と、しばらく先となっていますので、「そんなに待てない!」とお思いの方も、ぜひご参加いただければと思います。
次回お会いするときは、もう秋なんですね〜。そのまえに夏を満喫したいなと思っております。スケジュールは真っ白ですけど(笑)何かオススメの夏イベントがありましたら、ぜひお便りください。楽しみにしております〜。

【ペロリ松田より】
・・・というわけで、次回の講座は「七夕」です。会場などの都合で、七月の講座が繰り上げになっています。
例年になく早めの七夕ですが、実は「今年はそれも良しかな」という気がしています。“生活の中の願い”と山ちゃんが書いてくれていましたが、私の方は“生活の中の「運気の流れ」みたいなもの”が今年は早めのように感じているからです。
たまたま、私の回りの人たちにそのような方が多いからかもしれませんが、この6月末辺りをもって、いろいろな区切りがつく人って、今年は結構いるんじゃないかナ、っていう感じが強いのです。
6月は単純に2008年、上半期の終了期です。6月30日には「大払い」を行なう神社も多いです。今までやってきた事に一つ結果が出る、あるいは長く続けてきた事にしまいがつく・・・。そんな場合は、やっぱり自覚的に「区切りをつけてみる」のはどうでしょう。
「願い事を明らかにする、それを書く」という七夕は、自分でつける“区切り”でもあります。“今”この日に、というタイミングをもって、まず過去の自分と、これからの自分を切り分けて考えてみる。それは「こう在りたい自分の姿を天に願う」というスタイルを借りての、自分で自分の心の区切りをつけてゆく作業です。放っておけば、いつでも同じように続く自分の在り様に、敢えて“仕切り直し”を図ってゆくのです。そしてそれは、更なる活性化を呼び込むことになります。
昔の人って、凄かったんだなあ。年間のあらゆる行事がそうであるように、それは生きとし生ける者が、イキイキと暮らし続けてゆく生活の知恵でもありました。
さて、そんな七夕、今年もそれを“身体感覚流”にやります。頭でイメージしたものでなく、全身をバランスの取れた状態に戻した後、身体から発する言葉に落とし込んでゆきます。
梅雨の身体は放っておくと、鬱滞化しがち。湿気が続くと腰が重たくなって、何をするのも億劫になってきます。そんな状態に陥ることなく、心も身体もスッキリと風の通りの良い状態を七夕で目指してみませんか。よろしかったら墨、硯を持って、是非ご一緒に。
【ペロリ松田プロフィール】
■松田恵美子(まつだえみこ)
身体感覚育成講座講師。現代人における生命力の発露を探究。日々の動作や日本文化における型などを感覚からひもとき、日常生活に活かせる知恵や技として活用することで、自分のからだを自分で育む姿勢を伝えている。学校教育における教材化の研究協力にも携わる。
Be-nature school講師。共著に『自分という自然に出会う)』(講談社/刊)『おとなの自然塾)』(岩波アクティブ新書)。
監修『旧暦美人のすすめ)』(東洋経済新報社) 2007年3月発売。
【ヘロリ山崎プロフィール】
■山崎義高(やまさきよしたか)
「きゃりあ・ぷれす」編集部を経て、現在はフリーのライター。『旧暦美人のすすめ(東洋経済新報社)』『B.O.S.S.』キヤノン運営、取引先限定サイト『はつらつ元気(芸文社)』『コブスオンライン(コラム担当)』< http://cobs.jp/jijinews/trend/ >『スポーツキッズ(ベースボールマガジン社)『オーマイニュース(市民記者として)』
お仕事のご依頼はコチラ →< yoshitak@kingyobanchi.dialog.jp >

『きゃりあ・ぷれす』スタッフの日記

うっとうしい梅雨に突入いたしました。じめじめしたお天気でも、気分だけはさわやかにいきたいものですね。
本日配信の『きゃりあ・ぷれす』の特集は「りーだーず・ぷれす」。元気の出る連載コラムをお楽しみください。(『きゃりあ・ぷれす』をお読みでない方は、是非左下のリンク集からどうぞ。)
連載陣のひとり、ハナコさんからは、以前に山陰柴犬育成会をご紹介いただきこのブログでも書かせていただきましたが、今度は「鳥取砂丘ぶどう」のネットショップを立ち上げたとの連絡をいただきました。そこに至る経緯などの詳細は本日配信の「りーだーず・ぷれす」をご覧ください。ちょっと元気の出るお話です。

★「鳥取砂丘ぶどう」HP
http://ds-be1.com/hanako-shop.html

砂丘ぶどうの栽培レポートBLOG
http://sakyubudou.blog61.fc2.com/

ヘロリペロリ日記

 〜仏像のポーズに合わせて身体の感覚を澄ませると伝わってくる「国宝感覚」とは? 〜
【ヘロリ山崎より】
こんにちは!
もう「ヘロリ・ペロリ」か〜、と思いながら綴っています。最近、割と頻繁なやり取りが続いておりますね。というのも次回の身体感覚講座は6月8日(日)。前回の興奮も覚めやらぬままの開催ということで、初夏から梅雨の「身体作り」に集中したいと思っています。
ああそうそう、次回は日曜日の開催ですので、普段、土曜日だと参加が難しいという方、また、一度参加してみたかったという方がいらっしゃいましたら、まだ参加人数には余裕があるようですので、ぜひ検討くださいませ!
前回の講座では、初夏に向けて身体を整え、チューニングしていくことで、だんだんと瞑想の世界へと入っていきました。今、ちょうど東京国立博物館で『平城遷都1300年記念「国宝 薬師寺展」』を行っていて、国宝の日光菩薩月光菩薩を直接見ることができるのですが、それぞれの取っているポーズにはちゃんと意味があるということを体感しましたね。
向かって左側に月光菩薩、右側に日光菩薩が、真ん中に薬師如来を守る形で立っているわけですが、それぞれの菩薩のポーズを模して立ってみると、身体の右半分と左半分で身体の中に生じてくる感覚がずいぶんと異なることがわかりました。
身体の内側が密度の高い濃密な状態になる半身と、すーっと流れるような、すっきりとした気の流れを感じる半身です。極端に異なる感覚が一つの身体の中に同居する状態となっています。なんとなくですが、身体の内側にあるバランスの均衡を取りながら、僕たちは生活しているわけですが、今回のような「ある意味を持って取るバランス」が“型”であり、ヨーガのポーズであるのかもしれないなあと思いました。
仏像と同じポーズを取って、目の前の仏像を眺めると、それが国宝であることの意味が伝わってくるというお話を松田さんから聞いて、ぜひ直接、仏像を見に行って見たいと思いました。「薬師寺展」は6月8日までですので、それまでに見に行こうと思います。
さて、次回の身体感覚講座はすでにお伝えしたように6月8日(日)です。二十四節気では「芒種」が6月5日です。稲や麦の種が発芽し、農家では田植えが始まり、本格的な農繁期を迎えます。この前、桜が散ったと思ったら、もうすぐ梅雨入りです。仏像の解説とあわせて、この時期の身体のことなんかを、お返しいただけるとうれしいです。

【ペロリ松田より】
呼吸器が活性化してきた初夏に入ったと思ったら、もう鬱滞化してくる梅雨がやってきますね。なので、前回は本格的な呼吸法も交えて講座を進めてみました(次回もそのつもりです)。
さて、アメリカを経由していない、インドの古典派ヨーガにおいては、ヨーガにおけるアーサナは瞑想そのものへとつながる可能性を秘めています。そして呼吸法の時には、左を「月の道」、右を「太陽の道」とお伝えしています。
で今回、上野にお出ましになっている菩薩様方に話を戻すと……。今から約1300年前に造られた薬師寺のものをはじめとして、この時代は三位一体形式の仏像が多く、呼吸法における太陽・月の道を説明するときには分かりやすい例かな、と思って楽しみにしていました。真ん中に鎮座する薬師如来さんにとっては、長年ずっと一緒に居た両脇の方々が急にいなくなってしまって、さぞかし淋しいでしょうけれど。
ところが、実際に東京国立博物館に行ってみると、中央の薬師如来さんにとっての右手側に月光菩薩様、左手側に日光菩薩様がいらっしゃるのです。アレッ!? 身体のエネルギーの流れに付けられた名と逆なんじゃない?一体どういう訳? 身体では右側が太陽、左側が月のはずなのに!?
「どうしてだと思いますか?」と皆に質問して出てきた答えがいろいろで、面白かったですねェ。「上野に運んだときに、置き方を間違えたんじゃない」とひっくり返りそうな答え(本人は真面目に言っている)や、「横並びになった三体でエネルギーをプラスマイナスゼロにしている」とか深読みしすぎ、皆からよくわかんないという声がすぐに上がったりの答えとか、もうさまざま……(笑)
「いやいや、身体の勉強をしている者としては“言葉”に騙されちゃいけないよね。身体の無意識の領域にアクセスするために、この世界は技や仕掛けに充ち満ちていますからね……。」なあんて言って、まずはこの二体の菩薩様方のポーズを正確に自分の身体で再現してみようというところから前回の講座は始めてみたのでした。
御二体とも、仙骨を中央に寄せ、中央側の腕はヒジから上にあげて印を組み、外側の腕は下に降ろし手首は反らせてこちらの指も印を組んでいらっしゃいます。仙骨が片側に寄っている割には、頭頂部は真ん中にあります。
さて、この体勢を取ってみた時、気の流れは左右どちらに起こるでしょう?エネルギーが流れてるってどんな感覚なのでしょう?
と、講座の中であれやこれや体験してもらって、最後にもう一度、この姿勢を取ってもらったのでありました。
それにしても…国宝級のものは本当に素晴らしいと思います。ただただ造形として美しいというだけでなく、その形の中にエネルギーを内包している。それを“型”と本来は呼んだのでしょうねェ。すぐれた型の中には、必ずある感覚が同時に潜んでいるというのがよく分かります。
そして、それを見抜いて「これは国宝」と分かる人たちの審美眼というのもスゴイなあと……。でも私たちはそれを無意識レベルでも感じ取っているから行列を作ってまでも観に行くのかもしれませんね。
山ちゃんが行くなら、是非、自分の身体で確認してきてください。同じ形を取らなくてもエネルギーを内包している型は、それを観ている者にも呼び起こさせる力を持っています。
でも、もしその型を真似したくなったら、鏡を見ているようにすると良いと思いますよ(笑)

【ヘロリ山崎よりちょこっと続き】観てきましたよ!菩薩サマ。二体の菩薩様と正面から向き合ったり、本来、
薬師如来様が鎮座する真ん中に立ってみたり……。その日の僕のコンディションだと、月光菩薩様の方に気持ちが引き寄せられました。二体のお顔を見上げながら、太陽と月、陰と陽、男と女、父と母などと、対照的なものごとをいろいろと思い浮かべたりしましたが、頭で考えたときの「区分け」とか「落としどころ」のような都合の良い答えは見つからず、ただただそれぞれの菩薩様を眺めては、「むう」と何度も唸ってしまうだけでした。
何度見上げても圧倒的な存在感でしたよ。型はもちろん真似してみましたよ。でも鏡写しでしたか〜。普通にそのまんま真似しちゃいました。

【ペロリ松田プロフィール】
■松田恵美子(まつだえみこ)
身体感覚育成講座講師。現代人における生命力の発露を探究。日々の動作や日本文化における型などを感覚からひもとき、日常生活に活かせる知恵や技として活用することで、自分のからだを自分で育む姿勢を伝えている。学校教育における教材化の研究協力にも携わる。
Be-nature school講師。共著に『自分という自然に出会う)』(講談社/刊)
『おとなの自然塾)』(岩波アクティブ新書)。
監修『旧暦美人のすすめ)』(東洋経済新報社) 2007年3月発売。

【ヘロリ山崎プロフィール】
■山崎義高(やまさきよしたか)
「きゃりあ・ぷれす」編集部を経て、現在はフリーのライター。
『旧暦美人のすすめ(東洋経済新報社)』『はつらつ元気(芸文社)』『コブスオンライン(コラム担当)』< http://cobs.jp/jijinews/trend/ >『スポーツキッズ(ベースボールマガジン社)『オーマイニュース(市民記者として)』< http://www.ohmynews.co.jp/profile/n14083 >
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ヘロリ・ペロリ日記

〜元気ハツラツな夏がキタ!! イキオイに乗って、アナタなら何処へ行く? 〜

 
【ヘロリ山崎より】

暑い!
朝、あまりの暑さにぐったりと目の覚めることが多くなってきました。というのも、いまだに毛布2枚プラス羽毛布団という“重装備”で寝ているからなんですけどネ。冷え性のせいもありますが、夜はまだ肌寒かったりしますよね。昼と夜の気温差が大きな時期で、ひょっとしたら体調を崩しやすい頃なのかもしれません。
松田さんはお元気ですか?
暦の上では5月5日は「立夏」。つまり、夏の始まりです。週に一度、お寺でヨーガを習っているのですが、そのあと一緒に習っている友人たちと駒沢公園で広げたヨガマットの上でランチ。そのあとにシャバ・アーサナというか、たんに昼寝をしていると、吹いてくる風も心地よく、しばし現実を忘れてまどろむことができました。
そういう時間を持つことが、特に東京という場所にいると貴重だなあと実感したひとときでした。だからといって、現実社会のこのあわただしさ、情報の早さ、密度の濃さは否定するものではなく、ここでこそ得られるものもあるのだと僕は思っています。
自分の足元を見つめて、バランスをとりながら次の一歩をどこに踏み出そうかと、楽しい日々を過ごしています。
「なんとなく楽しい!」この感覚こそは、ひょっとしたら初夏ならではのココロモチなのかもしれませんね。
GWの後半は天気もいまいちですが、なんやかやと口実を見つけては、いろいろと出かけて交流しています。前回のヘロリ・ペロリで世田谷の大平農園のことを触れましたが、あれからどうしても畑をやりたくなって、今、高校の同級生で野菜ソムリエの友人と「畑を借りよう!」と計画しているところです。
区民農園を借りて、農家の方々に野菜の育て方を教わりながら、何らかの情報発信をしていけたらと思っているのですが、区民農園は抽選で当たらないと借りられないようです。なーんとかして、借りれないものかと思案しています。
ふと目を留めたスポーツ新聞のコラムに、美輪明宏さんが書いていらっしゃるのを読むと、日本の自給率の低下のこと、今後迎えるであろう食糧危機のことなどを危惧されていて、そのための解決策として『いまこそ日本に、おしゃれで近代的な理想の農業の街をつくるべき』と書いていて、「まさに!」と、僕がこれからやりたいと思っていることを教えられたような気持ちになりました。
本気で農業に取り組むというのではありません。土に触れる。野菜を育てる。採れたものを食べる。そのことの喜びを分かち合える人がいる。そこにちょっとした「センス」を加えることで、都市に暮らしながらも、人やものと確かにつながっていられる社会というものを、自分なりに追求していきたいなと思っていたりします。
さて、次回の身体感覚講座は5月17日(土)。二十四節気では「小満」が5月21日です。陽気が天地に満ちて、農家では田植えの時期を迎えます。
天気に満ちた陽気を身体全体で受け取って、そろそろと活発に動いてみようと思っておりますよ〜。

【ペロリ松田より】

その通りですね!外の風がとても気持ち良いので、次回は「そよ風の瞑想」もやってみましょううか。
そうそう、山ちゃんの畑話を読んでいて思ったんだけど、大人になってから、地面の上を裸足で歩いたことありますか?裸足になるのって、夏の海やプールぐらいでしょうか。
一日中、靴を履いているのが当たり前になると、足の指の股はくっついたままだし、ハイヒールを履き続けてたら外反母趾ひどくなっちゃったなんて話はよく聞くし……。だからね、山ちゃん。畑行ったら、この初夏はぜひ、土の上を裸足で歩いてみて。 今は爽やかな外に出て、足をどんどん使って身体を動かすと、ますます身体が活性化し始めます。
季節はまさしく二十四節気の「小満」。陽気が天地に満ちるこの頃は、足裏で直接、地面に触れてみるととりわけ気持ち良さがバツグンです!
さて、裸足になって歩いた経験を私が忘れられないのは、インドのある山奥でのこと。山と、その周辺の巡礼の道を辿るには裸足が一番良いと聞いたのです。
私は何でも自分の身体で体験してみないと気が済まない性質なのですが、決して修行好きではありません。でも大地と交流するのには裸足が一番だし、しかもそこは世界に名だたるエネルギースポット。はるか昔からその大地の下には、その山を守るように、累々たるインドのヨーギたちの屍が眠っているとも聞いていました。
敬意を表し、覚悟も決めて、エイヤッと運動靴を脱ぎました。靴下も脱ぎました。でも、あのインドの陽射しですからねェ。幸い、早朝だったので、まだ沿道のアスファルトは、溶ろけるほど熱くなってはいませんでした。恐る恐る足を直接道につけると地面は暖かい。でも歩き出すと、小石が、小枝が、足裏に刺さってイタイ、イタイ・・・。道行くインドの人の履いている薄いゴム草履が羨ましい。「ああ、今まで靴に守られていたんだな私の足」とヒシヒシ泣きたくなりました。
でもヤワだった私の足も、ものの30分もすると慣れてきて、雄大な景色や、通りすがりの村の様子に目を奪われだし、「アッ、牛のウンコ、もう少しで踏むところだった!」というほどの余裕すら。で翌日は、エイッ!とこれまた裸足になって山登り。日本じゃあ、考えられないよね。焼けた大きな石の上から上へと、タッタッと渡り歩き、しかも足が速いし軽い。まるで誰かが後ろから後押ししてくれているようなスピードで、野生のヤギのウンコだけは踏まないようにと、ちゃんと前も下も見ながら快調に登り出したのです。自分の身体の力も侮れないものです。
古今東西を問わず、古代のヒトは、自分の身体を通して自然のエネルギーとの交流の仕方を探り、よくわかっていたのでしょうね。知恵として後世に残してくれているのが、とても有難いです。
で、初夏である今は、ちょっと裸足で地面がオススメ。機会をつくって是非。潮干狩りだって良いですよね。梅雨が始まれば、すぐに水虫の季節です。水虫が先か梅雨が先かわかりませんが、今の時期に海水、塩水で殺菌しちゃう。そんな効果も、潮干狩りにはあるのでは、なんて思っています。でもゆめゆめ足の“冷やし”はまだ禁物です。「梅雨が明けるまで、ヒジ、ヒザ出すな」とは、昔のバアちゃん達がよく言ってましたよ。
【ペロリ松田プロフィール】
■松田恵美子(まつだえみこ)
身体感覚教育研究者。現代人における生命力の発露を探究。日々の動作や日本文化における型などを感覚からひもとき、日常生活に活かせる知恵や技として活用することで、自分のからだを自分で育む姿勢を伝えている。企業研修や学校教育における教材化の研究協力にも携わる。
Be-nature school講師。共著に『自分という自然に出会う)』(講談社/刊)『おとなの自然塾)』(岩波アクティブ新書)。監修『旧暦美人のすすめ)』(東洋経済新報社) 2007年3月発売。
【ヘロリ山崎プロフィール】
■山崎義高(やまさきよしたか)
「きゃりあ・ぷれす」編集部を経て、現在はフリーのライター。『旧暦美人のすすめ(東洋経済新報社)』『はつらつ元気(文芸社)』『コブスオンライン(コラム担当)』< http://cobs.jp/jijinews/trend/ >『スポ
ーツキッズ(ベースボールマガジン社)『オーマイニュース(市民記者として)』< http://www.ohmynews.co.jp/profile/n14083 >
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ヘロリペロリ日記

〜 百穀を潤す穀雨が降る頃、身体もココロも“しっとり”と潤っていこう!! 〜


【ヘロリ山崎より】

そろそろ桜の花も散ってしまったでしょうか?
今年の春は、暖かい日があったかと思うと、次の日はうってかわって肌寒くなったりを繰り返す「三寒四温」で、日々少しずつ春が本格的になってくるのを、じっくりと感じられたように思います。
去年、都内の初雪は4月1日に降ったりして、なんだか「おかしいな」という気候だったのに比べると、今年は極めて順調な気候の流れであるようですね。
つい先日、都内の世田谷に、江戸時代から農業を営んでいる大平さんという農園に伺う機会があったのですが、大平さんの奥様も今年は気候が順調であるというお話をされました。大平さんの広いお屋敷の四隅に、大きなケヤキの木があるのですが、春になると一本のケヤキの木がグングンと枝を伸ばし、それから若葉を繁らせるまで、他のケヤキはじっと待っているそうです。順番に一本ずつケヤキが繁っていくのを見て、ケヤキがお互いに合図をし合っているようだと、嬉しそうに奥様は仰いました。そのケヤキが去年は一斉に枝を伸ばし、同時に葉を繁らせるのを見て「なんだかおかしいなあ」と思ったそうです。
去年は中目黒の桜も咲いたかと思うと雪が降り、雨と風であっという間に散ってしまいましたし、梅雨明けは8月1日と遅く、短い夏には40度以上の気温を記録するところもあって「なんだか変な気候だなあ」と感じた人も多かったのではないでしょうか?
今年の桜は順調で、中目黒界隈の目黒川沿いの桜並木の下は、今頃では風が吹くと一斉に花びらが舞い上がり、見事な桜吹雪に歓声が挙がり、川に架かる橋の袂では中国の楽器である二胡を弾く姿もあり、彼の弾く「涙そうそう」を聴いていると、何ともいえない心地の良さを感じて、こういう時間を持てることの幸福をかみ締めます。
平和であることはありがたく、一番大切なことだと思います。
身体感覚講座は、カラダを整えることでココロの落ち着きを取り戻すものなのですが、ココロの「在り様」について、見失っている人の起こす事件についてのニュースを見ていると、ココロについて、もう少し何か伝えておきたいように感じます。
世の中は4月。新年度を迎えて生活環境の変わる人も多いことでしょう。この「ヘロリ・ペロリ」も、気がつけばもう3年半も続けているわけですが、この先1年間で何を伝えておけるものかと、なんとなく考えつつ、ヘロリ・ペロリと過ごしていこうと思っています。
さて、二十四節気では「穀雨(こくう)」を迎える頃です。『旧暦美人のすすめ』によると、
穀雨とは、百穀(あらゆる穀物)をうるおし、発芽をうながす春雨のことです。田んぼや畑の準備が整い、それに合わせるように柔らかな春の雨が降る頃。この頃より変わりやすかった春の天気も安定し、陽射しも強まります。
とあります。
暦の上では穀雨は弥生の15日です。睦月、如月、弥生が春なので、あと半月で夏を迎える頃です。身体はそろそろと夏への準備を迎えてくるのでしょうか?
個人的には、花粉症がそろそろ本格的に厳しくなってきましたよ(笑)ブタクサ花粉の飛散はちょうど今頃のようです。環境gooの「花粉症特集」を参考にさせていただきますね!
http://eco.goo.ne.jp/life/health/kafun/kenkouhou/

【ペロリ松田より】
その花粉症対策の原稿を終えた翌日、私は中国に向かいました。北京にはこの春から一人で暮らしている娘がいるのです。その娘に「日本は今、桜が見頃なんでしょ。私もお花見したーい!」と連れて行かれたのが、北京では花見処として有名らしい大きな公園。十元(日本円で約160円)で買ったピンクのチケットには、「櫻 春到 玉洲潭(タマスザク※中国語です)第二十届櫻花文化展」などと印刷されていて、「今年は中国でもお花見ができるのかあ」と、ちょっとウキウキしながら入園しました。
園内は家族連れやらカップルやらがゾロゾロといっぱいで、そぞろ歩きを楽しんでいます。混雑しているのは日本と変わりません。違うのが、モゴモゴと口を動かしながら歩いている人の多いことでしょうか。めいめいに透明なビニール袋を片手にぶら下げながら、とうもろこしやらお菓子やらを食べながら歩いています。さすが「食の大国」の底力だと感じました。
「食べることが大好き」という大前提がそこかしこに、どこに行ってもみなぎっていて、「花見のここでもかあ」と感心しました。団子抱えながら花見しているようなそぞろ歩きの列に加わりながら、さて肝心の桜は・・・というと・・・ありましたね。でも茶色い樹。エッ? ちょっとガーン。花は小さく、葉もすでに出ていて、何か薄い白い点々(花びらネ)が全体的に散っている。出始めた葉っぱ色の茶色の樹が中国、北京での桜でしたが、その素朴で地味な風情は、日本の桜、ソメイヨシノが満開となる光景とは、似ても似つかないものなのでした。
その代わりと言ってはなんなのですが、目を引き付けんばかりの「艶やかさ」だったのが桃の花です。これが花も樹も大きい。八重桜がもう咲き出したのかと間違えてしまうほどの立派な大樹もあり、濃いピンク、純白、と枝一面にボンボンのような花をつけて咲き誇っておりました。そして、どこからともなく、その樹の存在を知らせるニオイがあたり一面に漂っているのです。
日本のソメイヨシノは改良種なので、どんなに満開でも、その花の下に入ったときに、あまり香りを感じません。むしろ山の谷あいにひっそりと咲く山桜の方が、その香りを強烈に放ったりします。
せっかくなので桜はやめて、この満開の立派な桃の樹の下で記念撮影をすることにしました。大らかで派手でゲンキな桃の樹の下に入って「クチャイクチャイ、早く撮って」と言う娘をパチリ。鼻に手を当てたままというその表情は、あきらめ半分、はにかみ半分という顔をしていました。
【ペロリ松田プロフィール】
■松田恵美子(まつだえみこ)
身体感覚育成講座講師。現代人における生命力の発露を探究。日々の動作や日本文化における型などを感覚からひもとき、日常生活に活かせる知恵や技として活用することで、自分のからだを自分で育む姿勢を伝えている。学校教育における教材化の研究協力にも携わる。
Be-nature school講師。共著に『自分という自然に出会う)』(講談社/刊)『おとなの自然塾)』(岩波アクティブ新書)。監修『旧暦美人のすすめ)』(東洋経済新報社) 2007年3月発売。
【ヘロリ山崎プロフィール】
■山崎義高(やまさきよしたか)
「きゃりあ・ぷれす」編集部を経て、現在はフリーのライター。旧暦、身体感覚、ヨーガ、野菜、ビールなどをテーマに活動中。お仕事のご依頼はお気軽に〜♪< yoshitak@kingyobanchi.dialog.jp >< http://www.sportsclick.jp/sportskids/ >、身体感覚講座から生まれた本、『旧暦美人のすすめ(東洋経済新報社刊)』など。

ヘロリペロリ日記

春一番と共に、身体の中の虫もそろそろ「お目覚め」の時間!? 〜
【ヘロリ山崎より】
こんにちは!いよいよ新年が明けましたね。今年もよろしくお願いいたします。松田さんは「旧暦元旦」をどのように過ごされましたでしょうか? ちなみに僕は前回の「ヘロリ・ペロリ」にも書いたように、2月7日の早朝に初詣に出かけました。実はその日は風邪を引いていて、かなり体調が悪く「こんなんで無理して出かけてさらに体調が悪化したらシャレにならんな」と思うほどだったんですが、でも、行っちゃいました。一度思い始めたら、信念が揺るがないというか、単に諦めが悪いというか、執念深いとも言うわけですが、まあ
とにかく行ってきましたので、その時のことをお話しましょう!
東急線学芸大学から大宮までは、およそ1時間ほどで到着しました。思ったよりも大宮は近かったです。そろそろ白々と明るくなり始めた大宮の町を氷川神社に向かって歩くこと約20分ほど。神社への参道にさしかかりました。
歩きながら思ったのは、とにかく歩いている人の足の速いこと。僕は何とか日の出前には神社に到着したいと思って、結構急いでいたのですが、ナイキのスニーカーを履いて、手袋をはめた手を颯爽と振りながら歩く、見るからにご老人と思しき年代の方にあっという間に追い抜かれます。さらに数人のおばあちゃんにも追い抜かれる始末です。確かに風邪を引いて、かなり体調は悪かったんですが、でも学芸大学の駅前を歩く人たちはこんなに足は速くありませんでした。
とにかく健脚この上ない現地の方々に触発されて、僕も頑張って歩き続けました。足の一歩一歩が重く、砂袋を足にくくりつけて歩いているようでした。
参道には、散歩中の多くの方がいて、それから何人かの方たちが掃除をしていました。掃除が終わると神社の方に向かって二礼二拍手礼をしていて、なんともいえず爽やかな気分になりました。多くの人たちが日々の生活の中で「普通に」信仰を寄せている光景には、なんともいえない風情があります。
参道を歩いていると、日が差してきました。神社の境内で初日の出を迎えたかったのですが間に合いませんでした。風邪と寝不足でフラフラの僕は、そのまぶしさに思わず目を閉じました。瞼を通して、初日の出の優しくも暖かな感触をしばらく味わいました。
手を洗い、口を漱ぎ清めて入場すると、境内では真ん中に能楽堂があり、床板を熱心に雑巾掛けをして清めている人の姿がありました。全身から湯気が立ち昇る姿には、声をかけることをためらうほどの厳かな雰囲気でした。
境内には「御神木」が何本か立っていて、おばあさんが熱心に木の幹に手をあててさすっている姿がありました。僕も気を引かれる一本の木に触れてみました。この御神木はいつからここに立っているのだろうと思うと、何だか全てのことは些細なことであるように思えてきました。
そのあと本堂で参拝し、これでやっと新年を迎えたと意気揚々と帰ってきました。これで体調も整い、すぐに回復し、たくさんの仕事が舞い込み、全てが順調に進んでいくという予感がありました。
ところが、翌日からはさらに体調が悪化し、ものすごい倦怠感で毎日10時間ほども眠るという日々を繰り返してしまいました。期待とはまるで違った状況に「こんなはずは・・・」と思ったかというと、そうではありません。
身体が疲れて疲弊し、休息を求めていることはいたって正常なことで、だからこそ、とことん疲弊させに僕はあの日、氷川神社に出かけたような気がしています。その後、風邪は2週間以上続き、完全に治ったと思ったのは、ちょうど満月の2月21日でした。体調が戻ったと思ったら、仕事が次々と舞い込み、この週末は締め切りを3件抱えて、今までだったら「テンパって」しまうところが、なんとも穏やかに乗り越えることができました。とはいえ「ヘロリ・ペロリ」に取り掛かるのが、やや遅れましたけど(苦笑)。
まあ、旧暦元旦は思い立って大宮まで出かけてみましたが、いたって普通にちょっとした観光のような気分で過ごしてきました。ですが、大切なものは受け取ってきたと思っています。それがなんなのか、うまく説明できませんけど。身体感覚的には「ちょうど良かった」ということで、理解いただければ幸いです。
さて、次回の身体感覚講座ですが、二十四節気では「啓蟄(けいちつ)」を迎える頃です。大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃です。柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲く、野山には紋白蝶を見ることができるそうです。モンシロチョウ、最近見てないですねえ。
啓蟄といえば、冬眠から目覚めた虫がウゾウゾと動き出すようなイメージです。人の身体でも、同じようになにものかがモゾモゾと目覚めて動き出し始めるのでしょうか? 身体の中に虫といえば、「カンの虫」とか「虫の居所が悪い」という言葉がありますね。僕にも松田さんにも「虫」はいるのでしょうか? 元気でキュートな虫が四季折々、喜怒哀楽に合わせて身体の中を暴れ回る。なんだか楽しそうですね。次回の講座では、ぜひ虫について何かお話いただければ嬉しいです。

【ペロリ松田より】

こう振られると「ムシ」はできないよねェ。
では、啓蟄にちなんでモゾモゾとすこしだけサワリを。で、山ちゃんは、子どもの頃よく虫捕りをした方ですか? 私の回りには、
子供時代、昆虫採集が大好きだったという輩がどうも多いらしいと気が付いたのです。
私の方はといえば、虫ときけば、ゴソゴソ、ブンブン、パタパタ、ミンミン・・・程度の思い出。虫カゴはよく持たされましたが、コッソリよく逃がしていました。で、何となくだけど、子どもの頃、虫捕りに熱中した彼らというのは、今になってもなお、原初的なものに興味を示すというか、理解が早いというか、少年のような感受性を持続している人が多いのでは・・・と思っています。原初的な生命の在り様に対しての感受性が開かれているというか・・・。著名な方でいうと、その代表は、今もなお、お暇な折には虫捕りに出かけるという、あの養老先生です。
実は知り合いに、昆虫博士がいるんだけど、その人の、人間に対する感受性能力が非常に面白いのです。“好きこそ、ものの上手なれ”とはよく言ったもので、彼の言動は研究対象のその虫によく似ています。そしてその虫の感受性までを自分の判断能力に加えているように思えてならないのです。その道では優秀な研究者らしいです。
彼は人と会うとき、いつもその人が醸し出すオーラのようなものを直感的に感じ取っているようです。そして人の持つ温度やら、明るさやらを敏感に独特のセンサーで嗅ぎ取ることに長けています。もともと超ゲンキな人なのですが、特に熱感や光のような明るさが好きなようで、そういうものには本能的に吸い寄せられるようにスリスリと寄っていき、もっとゲンキになっている!ネ、虫のようでしょう!?
私は、彼がそういう原初的な感受性を持ち続けている様子がとても逞しいなあと思っています。身体の”ムシ”も、温度や明るさに敏感なのかナ?
さて、今年は3月5日が啓蟄ですね。
身体の方も、その頃を境に、ムズムズ、モゾモゾが自分でも分かりやすくなってきます。暖かくなると、どこか行きたいなあ。梅の花もいいなあ、桃の花もいいなあ、春の海も見たいなあ・・・そんな柔らかなモゾモゾも”モゾモゾ”のうちです。
胸につながる領域、腕、肩、肩甲骨もよく動かしておきましょうね。足もです。
NTTの環境gooで花粉症対策も連載していますので、興味を覚えられた方は、講座のほうにもぜひ、どうぞ。

【ヘロリ山崎より返信】

虫捕り、好きでしたよ。田舎だったので、夏休みになるとクワガタムシやカブトムシを捕りに山へよく出かけたものでした。そういえば僕も彼らと同じように、明るいものや暖かいもの、それから強そうなものに引き寄せられていく傾向があるような気がします。そういえば、スイカも好きですし。僕も虫に似たのかもしれません(笑)。
今年の花粉は多いそうですね。僕も筋金入りの花粉症なので、「ちょこっと健康法」を実践してみようと思います。
【環境goo】ちょこっと健康法で花粉症を乗り切ろう!
http://eco.goo.ne.jp/life/health/kafun/kenkouhou/

【ペロリ松田プロフィール】
■松田恵美子(まつだえみこ)
身体感覚育成講座講師。現代人における生命力の発露を探究。日々の動作や日本文化における型などを感覚からひもとき、日常生活に活かせる知恵や技として活用することで、自分のからだを自分で育む姿勢を伝えている。学校教育における教材化の研究協力にも携わる。
Be-nature school講師。共著に『自分という自然に出会う)』(講談社/刊)
『おとなの自然塾)』(岩波アクティブ新書)。監修『旧暦美人のすすめ)』(東洋経済新報社) 2007年3月発売。
【ヘロリ山崎プロフィール】
■山崎義高(やまさきよしたか)
 「きゃりあ・ぷれす」編集部を経て、現在はフリーのライター。旧暦、身体感覚、ヨーガ、野菜、ビールなどをテーマに活動中。お仕事のご依頼はお気軽に〜♪< yoshitak@kingyobanchi.dialog.jp >< http://www.sportsclick.jp/sportskids/ >、身体感覚講座から生まれた本、『旧暦美人のすすめ(東洋経済新報社刊)』など。

ヘロリペロリ日記

 ヘロリペロリ日記 その22
〜    旧暦元旦より感謝を込めて この先一年を楽しむために今できることって? 〜
【ヘロリ山崎より】

新年明けましておめでとうございます!
前回の「ヘロリ・ペロリ」で『新年明けまして……』と書いたばかりなのに、またしても新年のご挨拶……、びっくりされた方もいらっしゃるかもしれませんね。実は、以前からお伝えしていたように、私たちは「旧暦」の流れを意識して生活をしているので、僕にとっては今回がホンモノの元旦なんです。今年の旧正月は2月7日なので、ちょうど「元旦」ということになります。
ちなみに、旧暦のお正月は年によって日が変わります。二十四節気の「立春」あたりの新月の日が元旦となるからです。来年の元旦は1月26日と、随分と変わりますね〜。このようにある一日を基準にして考えるとよくわかるのですが、西暦であるグレゴリオ暦と旧暦では、一年あたり12日ほどのズレが出てくるのです。そのズレを解消するために「閏月」という仕組みが旧暦にはあるのですが、そのあたりの説明は「旧暦美人」の本で確認してみてくださいませ。
さて、新年を間近に控えて松田さんとしては、どんなココロモチでしょうか?
カラダとココロには何か変化が生まれたでしょうか。僕が感じたのは、先日1月30日のことです。この日は急に気温が温んで、最高気温が13度、日中は一日エアコンなしで過ごすことができるほどにあたたかい一日でした。
外にいても、風が含む気配のようなものが冬のものとは異なって、芯のところがなんともいえずあたたかく、風に身をさらしていても、なぜだか「大丈夫!」と思えたのです。そのときの自分自身の気分としては、頼もしいような、懐かしいような気がしました。
頭では季節はまだ冬だという認識なのですが、このとき身体の方が勝手に「春だ! 」と判断したようでした。そうすると、感覚は一瞬にして一年前の春のことを思い出し、もっと以前の春のこともいろいろと思い出して、花見のこととか春の別れなぞもあったナア……とか、一瞬にして頭の中が妄想モードになってしまったのでした(笑)。それは不思議で、なんともワクワクするような体験でした。
さてわたくし、この「妄想モード」に乗っかって、フト思い立ちました。思い立ったが吉日で、大宮氷川神社に初詣に行こうと思います。どうしてここにしたのかというと、そんなことを言わなさそうなある人が、ここには精妙な気配が満ちている、とか言っていたのをふと思い出したからです。
その人とは縁もゆかりもないのですが、たまには人の言うことを真に受けてみるのもいいんじゃかかろうかと思ったのです。「虫の知らせ」のような感じです。
こういうときに降って沸いた思い付きを「ばかばかしい」とやり過ごすことで「社会人」とか「大人」という自分を保ってきている訳ですが、それはつまらんなと思っていたりするわけです。
そこでどうせならと、古来の日本人のお正月の過ごし方を実践してみるのもいいかなと思い調べてみると、かつては年籠り(としごもり)として大晦日から元旦にかけて徹夜で寺社にこもる風習があったそうです。その風習がやがて大晦日の夜の除夜詣と、元旦の元旦詣に分かれて、現在では元旦のおせち料理をいただいてから初詣に出掛けるようになっていったそうです。この「元祖初詣」との呼ぶスタイルの31日〜1日にまたがってお参りすることを「二年参り」と呼んだそうです。
厳密にやるのもいいけど、「テキトーでもいっか」などと思っています。僕の場合、あまり根を詰めるのはよくないようだと、前回の講座で書いた筆跡をみて、「かろやかさ」を重視したほうが良さそうだと感じています。
今年の元旦は十二支の干支の一番目、「鼠年」です。この先十二年を充実したものにするために、楽しむために「やり残し」のないように、頑張りたいものです。
松田さんにとっては、来年はどういった年になりそうでしょうか? 何か期することなどありましたら、お伺いしたいと思います。
さて、次回の講座は2月16日です。この頃では、19日に「雨水」があります。「みずがぬるむ」頃で、暦の上では初春です。身体はどのような状態になってくるのでしょうか?
あらためて新年を迎えましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします〜。

【ペロリ松田より】
……というわけで、ヘロリ山崎氏がバッチリ旧暦新年モードで話を振ってくれました。
2月3日の節分後の「立春」には、さらに本格的な春の兆しが訪れましたね。今年の関東の節分の日は雪でした。翌日の「立春」は晴れ。日差しの明るさが、もう春になっていました。この時期になると、毎年喜びながら、春の訪れに感心してしまいます。忠実なほど暦どおり、確実に起こる自然の変化・・・。暦って自然をよみ、自然と共に暮らしてきた人々が残してくれた無形の人類の財産のような気がしています。季節によって変化する身体を捉える観察眼も、昔の人は本当に優れていたのでしょうね。見えないものが見えていたとしか思えないのです。
ちょうど節分の前頃は、一年中で一番、神経系統がピリピリしだす頃。首から上の血行異常が生じやすくなったり、厳しい寒さに空気の乾燥の追い討ちで目が充血したり、目玉がギョロリと飛び出したり。鬼の形相に近づいていきます。しかも、目の過度な緊張が続くと、ちょうど鬼の二本角の辺り、頭の上が、本当に僅かだけど硬直して盛り上がってくるのですよ。触れると痛かったりもします。それは小さな小さな見えないツノです。身体のそんな状態を知ってか知らずか、それでも暦ではこの時期、「鬼は外」と豆まきをして、冬の季節に区切りをつけます。自然の変化に適応してきた人々の知恵ですよね。その後に訪れてくる身体の春の兆しは、雪解けのように、固まっていたものがだんだんと水気を帯びながら弛んでいくのです。花粉症の症状も、その現れのひとつと捉えることができます。
そうそう、NTTの「環境goo」というサイトで「2008年花粉症特集」をやってます。今年の1月後半から4月頭まで2週間に一度、肩甲骨周辺を中心にしたケア方法の連載が始まったので、どうぞ覗いてみてください。できるだけ自分で感覚を把握できるよう、わかりやすく噛み砕いて書いていくつもりです。
そうしているうちに、もう間もなくバレンタインデーが来ますね。その頃には、小鳥もさえずり始めることでしょう。生殖器が活性化してくるのが、春なのです。チョコ合戦もふくめ、東洋、西洋、入り乱れて今の日本の季節もうまく進んでいくもんです。
さて、私の方はおいといて、春を感じたらワクワクしてきたというヤマちゃん、今年は頑張りましょうね。
私、去年も同じようなこと言って、ハッパかけてたっけ!?

【環境goo】ちょこっと健康法で花粉症を乗り切ろう!
http://eco.goo.ne.jp/life/health/kafun/kenkouhou/