ヘロリペロリ日記 その20

〜 “ふたつの時間”のすごし方両方あって、どっちもいい 〜

【ヘロリ山崎より】

こんにちは!お元気ですか? 今年も間もなく12月を迎えようとしています。松田さんにとって、今年はどんな年だったでしょうか? 一年の過ぎるのがどんどんと早く感じられるようになってきました。気を抜いていると、それこそあっちゅう間のでき事のようで、まったく油断がなりませぬ。
僕にとってこの一年は、「過ぎ行くのが早い時期」と「じっくりと味わって過ごす時期」というふたつの時間の流れが、交互に訪れていたような気がします。大きな流れだと、春先までは「旧暦美人のすすめ」の出版に向けて忙しく、充実した時間を過ごしました。出版後はしばらく静かな時間が続きました。そしてここの所また忙しくなりつつあります。
「過ぎ行くのが早い時期」とは、朝起きて何となくボーっとしていたら、日が暮れてきちゃったりして、「ああ、今日ももう終わりか」なんて思っちゃう時期のことです。逆に、朝から気分はスッキリ、自分がやるべきことに集中して取り組めて、ご飯を食べることも忘れて夢中になり、ひと区切りがついて気がつくと日が暮れていたなんていう日は、「じっくり味わって過ごす時期」だったなあと贅沢な気分に浸れます。
このようなふたつの時間を比べてみると、一方は無駄な時間に見えます。全ての時間を気を抜かず、充実した時間にすべきだと反省しそうになります。ですが、本当にそうなんでしょうか? というのも、実はふたつの時間はペアであって、どちらか片方だけを求めるのは無理なんじゃないかという気がするのです。ふたつの時間は上向きの曲線と下向きの曲線で、お互いに手を取り合いながらゆるやかなカーブを描き、上昇下降を繰り返すラインを描いているのではないでしょうか。それは好不調の波、バイオリズムなのではないかと、僕はにらんでいます。
身体感覚講座のときに、2人ずつのペアに分けるときに、松田さんは僕とSさんをペアにすることが多いのですが、その理由は僕が「のろま」なので、感覚の鋭いSさんと組ませるのだと言いました。「本当はのろまじゃないから」だと松田さんは言います。僕は確かにのろまな人という印象を持たれることが、ここのところ定番化してきました。それは何となく不本意なような、それでいてまんざらでもないような、ビミョウな気分です。小学生の頃の僕は、“僕の記憶によれば”落ち着きがなく、気の短い少年でした。間違ったことが嫌いで、気に入らないことがあると誰であれ本人に直接文句を言うような、困ったガキでした(笑)。
あるとき、そのままでは本当にクラスで孤立してしまうというところまで追い込まれて、そのころから僕はだんだんと、自分の意見を殺し、我慢をするようになりました。なるべくぼんやりと過ごすようにしました。そうしているうちに、それが板について今の僕があるのです。なんて書くと、意識的にやってきたことのようですが、実際は無意識です。子供なんて、動物的な感覚で群れて、相手との距離を保っているようなある種、野生動物みたいなものです。僕がのろまになってしまったのは、「正義感が強く、ワガママ」でいられるほどに強くなかっただけなんだろうなと、今では思うようになりました。
身体感覚講座に出て集中していると、そんな思い出したくもない記憶がふと蘇ってくることがあります。昔の自分の記憶が、今の自分に大きく影響を与えているのだと思い至る瞬間があります。僕は僕らしくあるために、今では遠ざかってしまった「自分らしさ」を取り戻すことが、目下の課題であるのだろうなあと思っています。ちなみに「のろま」であることは決して悪いこ
とだとは思いません。問題なのは「のろまであることに逃げ込んでいる」自分自身のあり方なのですね。
で、「ふたつの時間」の話に戻りますが、僕の性格の部分にも同じようなことが言えるのではないかと思うのです。「のろまな僕」と「のろまでない僕」という存在も、実は両方とも必要で、いったんは「のろま」でいる必要があったんじゃないかと思うのです。物事には全て過程があって、そのひとつひとつを味わうことで初めて得られるものもあるのです。
この堂々巡り、かつ自問自答のお手紙は、結論をだすことを重視するなら「どっちやねん!?」と突っ込みたくなるような内容ですね。なんだかつらつらと長文失礼しました。オチのないまま、無理やりにまとめてしまうと、大事なことは「今、これからどうするか」です。恥ずかしい過去も、見通しの立たない未来も、全ては一瞬一瞬の過程の積み重ねです。ならばその一瞬一瞬を楽しまにゃソンソン! だと思います。
まったりと過ごしたり、充実して過ごしたりと、ふたつの時間を行ったり来たりしながら進んでいくことは、「行きつ戻りつ」しながらだんだんと移り変わる季節の流れと同じなのかもしれない、それはまた、月が新月から満月へと、満ちたり欠けたりを繰り返す流れにもつながるのでしょう。そんなことを思ったりしています。
さて、次回の講座は12月15日です。この頃では、22日に「冬至」があります。一年で一番、夜の長い日です。いよいよ本格的な冬になってきましたね。そういえばニュースによると、今年は急激な気温の低下で、毎年美しい紅葉で評判の、東京国立市の銀杏並木が一晩で落葉し切ってしまったそうです。夜の間に葉っぱが凍ってしまったのが原因のようです。「冬至にはかぼちゃを食べて、柚子湯に入る」という風習がありますね。慌しい毎日ですが、お風呂でゆっくりと湯船に浸かる時間を大切にしていま
す。松田さんは、寒さ対策にこの時期、何かしていることはありますか?

【ペロリ松田より】
えー、私、そんなこと言いましたか? エラソーに。そうだとしたらごめんなさいね。私の方が、実は“ゆっくりちゃん”ですよ。中学の時にはすでにあだ名の「えめ」転じて「カメ」だの、「ホルスタイン」だの言われていました。でも年齢を重ねるにつれ、“やりたいこと”、“やらなきゃいけないこと”の洪水に押し流されて、いまのスピードにギアチェンジで入るようになりました。
時間というのは不思議です。自分の関わり方次第で長く感じたり、短く感じたり……。総じて、真剣に全身で関わっている集中状態に入ると、時間の感覚は変わります。客観的な“Time”は、変わらないのに、感覚的には伸びたり縮んだりします。
「きゃりあ・ぷれす」の講座では、午後いっぱい時間をもらっていますが、いつもあっという間に4〜5時間経ってしまっています(…よね? )面白おかしくやっているうちに「ナンダ、4〜5時間経っていたのか」と来た人に思ってもらうのが、こちらの腕の見せ所なのですが。実はそうやって集中力をつけているというのが、講座の隠れた“目的”のひとつでもあるのです。“集中力”すなわち、“体力”すなわち“生きる力”なんていう見方もできるからです。
山崎クンのお手紙を読んで、フトそんなことを思いました。相変わらず、時間の余裕がないので、このあと、うまくまとめてくれぇ〜! あと、質問に答えてないね、ゴメン!

【ヘロリ山崎より】
お忙しいところ、いかにも慌しくお返事をいただき、ありがとうございます。なんともお忙しい様子が文面からも垣間見えるようで、松田さんが一歩先に師走に突入したようで、頼もしく感じました。
旧暦においては、これからまだ11月を迎える辺りで、師走はまだまだと、ゆったりと構えていようと僕は思っていたのですが、師走の慌しさは四季の流れとは関係なく、仕事納めや新年を迎えるための行事のためなので、僕一人がゆったり構えているわけにはいかないようです。「お正月」を旧暦で祝うのは、日本では沖縄がそうなんですが、沖縄に行けば、この時期をゆっくりと過ごせるのでしょうか。というか、沖縄は師走でものんびりとしてそうです。行きたいなあ、沖縄。沖縄の師走事情をご存知の方、いましたら編集部までお便りくださいませ。本日、東京は気温が5度。エアコンを効かせた部屋で、ダウンジャケット
を着込んでいます。やはり僕は沖縄に行くべきだと思います。ああヤバイ。僕のほうも案外忙しく、だ、だ、だ、っとここまで書き連ねましたが、どうにもこうにもうまくまとめることもままならぬまま、もう出かける時間とあいなりました。う〜ん、これにてゴメン!

【ペロリ松田プロフィール】
■松田恵美子(まつだえみこ)
身体感覚育成講座講師。現代人における生命力の発露を探究。日々の動作や日本文化における型などを感覚からひもとき、日常生活に活かせる知恵や技として活用することで、自分のからだを自分で育む姿勢を伝えている。学校教育における教材化の研究協力にも携わる。Be-nature school講師。共著に『自分という自然に出会う)』(講談社/刊)『おとなの自然塾)』(岩波アクティブ新書)。監修『旧暦美人のすすめ)』(東洋経済新報社) 2007年3月発売

【ヘロリ山崎プロフィール】
■山崎義高(やまさきよしたか)
「きゃりあ・ぷれす」編集部を経て、現在はフリーのライター。旧暦、身体感覚、ヨーガ、野菜、ビールなどをテーマに活動中。お仕事のご依頼はお気軽に〜♪< yoshitak@kingyobanchi.dialog.jp >< http://www.sportsclick.jp/sportskids/ >、身体感覚講座から生まれた
本、『旧暦美人のすすめ(東洋経済新報社刊)』など。